機械情報三年授業感想春ターム

見てるかもしれない後輩のために授業の感想(主に教授の良し悪しとテスト難易度等)を超主観的に書いていく。抜けがあるかも。

 

固体力学系演習 

非常に楽単。毎回プリントに材料の問題を解いて提出するだけでA+がくる。ただ指名されると前に立って発表しなくてはならず非常に面倒くさい。さらに自己紹介をさせられる。かしこだなんだと言ってくる。うざい

 

材料2

担当教員が非常に投げやりに説明する。特に前半は聞かないでも問題がない。後半は聞くべき。テストは10年くらい変わってなかったものが急に変わったので注意が必要。再試が何度もあるので単位が拾いたい人には楽だが、テストで一問間違えるごとに成績が1ランクずつ下がる。教授はうざい

 

熱力学2

材料と逆で非常に詳しく教えてくれる。ただ板書の写真を撮ると怒られるのでちゃんと書いたほうがいいです。

 

熱流体演習

流体は難しかった記憶。熱は簡単。

 

材料科学

なぜか原子系の教授が受け持つ材料系の授業。教え方はわかりにくいことはないが平均点はシステムの方が高いらしい。個人的には好きな授業だが落単者が多い。再試はしない、というものの綱引き大会で優勝すると再試が来るらしい。寝坊で試験を受けなかった人間がなぜか多いので注意。またこれを基礎として発展する授業がいくつかある。

 

流体2

担当教員に人間の心がない。テストはシステムの担当者が作るのでシステムの友人からどこが出るのか聞きだすとよい。

 

設計工学およびラボラトリーセミナー

機械知能名物エンジン設計を行う。機械知全体で3チーム(例のごとく学生番号順)に分かれ、エンジン設計および実験をおこなう。週2というハイペースで行うため実験では毎週2本レポートを書き上げ、1月ちょっとの間に設計書と製図を提出する。製図に関しては期限内に提出が完了するとA+が来るのだが、非常にしんどい。特に製図のデータを持っていなければ自分で計算を行う羽目になるのでなんとか入手することをお勧めします。自分はあったこともない人にいただきました…笑。最初に製図の班に振り分けられるのが最も楽だと思うがそれでもかなりきつい。ゴールデンウイークを潰す覚悟でするべき。これのせいで彼女と色々拗れたのでかなり恨んでいる科目。ラボセミは楽なものときついものではっきり分かれている。最初にきついものがこないとテスト勉強ができなくなる。実験ではTAとなぜか仲良くなれる。編入組は製図は免除されてるらしい。機械知能の三年前期がキツイのはこれのせい。

カンボジア放浪記 その3

つづき

アンコールトムの中は神と王の世界なので人々は普段入ることができない。ただ、満月の夜だけは別である。門の扉は開かれ、人々は神の世界に入ることを許される。

当時の人々はアンコールトムやアンコールワットの中ではお坊さんに頼んで聖水で清めてもらったりお祈りをしたそうで、現在でもその施設は見ることができる。

聖水は月の光が入る小部屋の中の四角い石に彫られた溝に水を流すことで得られる。日本では北枕を嫌がるように北を縁起が悪いとしているが、カンボジア(クメール)では北を縁起の良い方向としている。先述の四角い石はそれぞれの辺が東西南北を指しており、北側にのみ水が流れ落ちるようになっている。人々は北側に跪き、お経を唱えながら流れ落ちる聖水を頭にかけていたらしい。今ではただの苔の生えた石であるが、当時では金箔があしらわれていて、月光で光り輝いていたとのこと。またアンコールトムやアンコールワットも建築当時は漆喰や漆で彩られていたという。是非VRなどで再現してほしい。

少し歩くと象のテラスがある。三つの頭を持つ象が左右に二頭並び、その間に王が鎮座し、閲兵を行っていたようである。王は出兵時には必ずと言っていいほど天気雨を降らせた。刀を抜くと天気雨が降る、というのは凄い(というか嘘くさい)のだが実際に凄かったのは当時の占いの技術で、降る日時に合わせて出兵を行ったようである。今でもカンボジアの占いはよく当たるよ、とガイドさんは言っていた。ただ偽物も多いようである。見極めが必要らしい。

その後クメール料理を食べにレストランに行った。中華料理と日本食の中間のような味で美味しかった。特に揚げ春巻き的な料理が美味しかった。やはりクメール料理は日本人の好む味なのだろう。逆に韓国人はあまり好まないらしく、せっかくカンボジアに来ても韓国料理ばかり食べている、とガイドさんは笑っていた。

カンボジア放浪記その2

朝の8時半にホテルロビーに集合するように、と言われていたのでなんとか6時に起き、シャワーを浴びて食事を済ませた。

朝食はバイキングで洋風な料理とその場で作ってくれるヌードルがあった。ヌードルはフォーにとても似ていたが一応違うようである。モヤシも茹でてくれたのでよかったが、調理は屋外で行なっていたため野菜や器にハエがたかっていた。見なかったことにした。ホテル内は寒かったので温かいヌードルは大変美味しく感じた。


ロビーに行くとガイドさんと若いお兄さんがいた。今日はこの2人と私、友人とドライバーさんで行動する、とのこと。まずカンボジアの遺跡(アンコールワットなど)に入る為のチケットを受け取りに行った。お金は旅行会社を通して事前に支払っていたのでカウンターで顔写真を撮り、数分待つと受け取れた。この時点で自分の輪郭が丸くなってきているのが気になった。

 

これで遺跡に入れるようになったのでアンコールトムに向かう。Angkor Thomはクメール語で大きい都市という意味である。3キロメートル四方で城壁に囲まれている。有名なのは南大門で、門の上部では観音菩薩が笑みを浮かべ東西南北それぞれに顔を向けている。この4つの顔にはそれぞれ意味がある、とガイドさんは言っていたのだが忘れてしまった。おそらく慈愛などのはず。もし知っている人がいたら教えて欲しい。

南大門を越えてアンコールトムに足を踏み入れるとそこは神と王様の世界である。カンボジアでは神と王は同等とみなされ、信仰の対象とされてきた。門の外側は人間の世界であり、境界をはっきりさせる為、巨大な堀がある。そして二つの世界を繋げるための橋がかかっていて、両端にはそれぞれ54体の石像がある。石像は神と悪魔を表現し、それらはナーガ(ヴァースキ)という蛇の胴体を引っ張っている。写真が貼れないので説明がわかりにくく申し訳ないのだがそんな感じ。これは乳海攪拌というヒンドゥー教天地創造神話を再現している。(ちなみに堀は海を表している。)乳海攪拌はざっくりと説明すれば神と悪魔が不老不死の薬を得るためにナーガを山に巻きつけ、それを引っ張り合う、というもの。薬を作る過程で地上の生物は死に絶え、完成しても誰が最初に飲むかで神と悪魔で戦争が勃発する。現地で3人からこの話を聞いたがそれぞれ若干違っていたのでそのうち、まとめてみようと思う。

南大門には観音菩薩の彫刻があり、橋にはヒンドゥー教の神話をもとにした石像がある。宗教がごちゃ混ぜになってしまっているのでは?と思ったのだが、実はわざとそうしているらしい。

前述の通り、王は神と同等の力を持つとみなされていたため、王の後継争いは続き、更に自分の権力を確固たるものにするため宗教を利用した。前の王が仏教を推奨していれば自分はヒンドゥー教を推奨したり、王宮や巨大な寺院を作らせたりもした王もいたようである。前の王と自分を比べられたくなかったのであろう。また仏教からヒンドゥー教に宗教が変わると、前の王が作った寺院などは破壊されたり、彫刻部(レリーフ)を削り取られたりもされていた。

アンコールトムを建設させた王は当時主流だったヒンドゥー教と自身が信仰していた仏教を意図的に混ぜることで統治しようとした。乳海攪拌はヒンドゥー教の神話であり、それを表した橋の石像の数は全部で108と仏教由来である。(ヒンドゥー教なら石像の数をそれぞれ奇数としたはずである。そちらの方が縁起が良いらしい。)またこの王は大変慈悲深く、病院を設置し、国力の充実に努めた。その結果、軍はとても強く、国民からの信頼も厚くなった。ただ、アンコールトムの建設に尽力しすぎたために建設後の戦争では負けてしまう。

その後、アンコールトムは一度日本人に見つかったあと、フランス人によって発見される。フランス人たちは修復という名目のもと、車を使って石像を持ち出せるよう、橋の石畳の上にコンクリートを敷き、橋の両端の石像などもこれで補強した。あまり石とコンクリートの相性が良くないらしく雨などで侵食されていた。また、車が通れるようになったためバスやバイクが何度も南大門をくぐるので排ガスで汚れてしまっていた。そんなわけでガイドさんはフランス人のことをよく思っていないらしい。まぁ納得。遺跡も返してもらえない、とも言っていた。一応現在では石像のコンクリートは剥がして相性の良い材料で補強しているようである。

 

世界遺産として登録されると有名になり観光客が増えるので地元の経済は潤うと思う。ただ人が増えれば遺産に対して影響は少なからず出てしまうというマイナス面も感じた。南大門は汚れ、そしてバイク等の若干の振動によって綺麗に積み上がっていた石たちにズレも生じてきているようである。世界遺産登録を急ぐ前にこのようなマイナス面があることも考慮する必要があるかもしれない、と世界遺産だからという理由で観光に来た私は考えた。

 

※今回の話では一部史実や通説と異なる部分がある可能性があります。ガイドさんに説明を受けたことをそのまま書いているつもりなのでより正確なことを知りたい人は鵜呑みにせず、調べてみることをお勧めします。

カンボジア放浪記その1

私の友人が来年から就職、ということで海外旅行に行くことにした。(同級生だったはずなのだが…。)友人はお金があまりかかりすぎないところが良い、というので、カンボジアに行くことにした。アンコールワットは一度見てみたかったし物価も安いというのも魅力的だった。

 

カンボジアへ行くためにはベトナムで飛行機を乗り継ぐ必要がある。今回は朝10時半に福岡空港国際線から出航している飛行機を利用した。飛行機はあまり大きくなく、正直揺れが心配だった。と、いうのも以前一度だけ台湾に行った時に利用したチャイナ航空がとても揺れ、トラウマになっていた。予想に反し飛行機はそこまで揺れることはなかった。なかなかに快適だった。

飛行機の椅子や食事の蓋やコップには蓮の花?の絵があしらわれていた。仏教由来かな?椅子と椅子の間はあまり広くなくトイレに行く時には苦労した。チャイナ航空と比べ、ベトナム航空の機内食は美味しく、ドリンクサービスも多かった。ただ日本語での放送はなく、わずかな英語の知識によってなんとなくアナウンスの内容を取らなくてはならず苦労した。おそらくはJALなどと同じようなことを言っているので聞く必要はあまりないと思われる。それと飛行機に乗っている人達はベルト着用サインが着いていてもトイレに向かう人がいた。CAさん達も御構い無しに業務を行なっていた。


2時間ほど過ぎ窓から外を見るとかなり下に陸地が見れた。おそらく中国。台湾には行ったことがあるが中国本土を見るのは初めてでこれがユーラシア大陸かと感動した。またこの時に普段(国内線)よりも飛行機が高いところを飛んでいることに気がついた。雲は遙か下にありそのまた下に大地が広がっていた。

飛行機が降下するとベトナムの平坦な街が見えてきた。雰囲気は沖縄や台湾に似ていて、オレンジ色の屋根に黄色の壁の家が所々に密集しており、それ以外のほとんどが田畑であった。そのほかにあったのはサッカー場だ。サッカーが人気なのだろう。人生の一発逆転を狙いやすいのが人気のひとつだ、と社会科の教師が言っていたのを思い出した。

 

ベトナムハノイにあるノンバイ空港では乗り継ぎでの利用であるため外に出ることができない。3時間ほど時間が余ったため空港内を探検した。まず目につくのは職員の人たちが基本的にのんびりと休んでいることだった。みんな楽そうな体勢でカウンターの奥や棚と壁の間で携帯をいじっていた。いい意味でも悪い意味でもゆるい国、と言うのがベトナムの印象だった。日本ほどあくせく働く必要はもちろんないので良いと思うのだが、飲食店で壁にあった写真の料理(名前付き)を食べたい、というとこれは売っていない、と言われ、じゃあアレ、といってもそれもない、と言われた。それなら消せよ…。他にも冷蔵庫に入っていた水を買おうとするとどれも冷えていなかったり店員が誰もいなかったりした。なかなかに面白そうな国なので今度行ってみようと思う。

ちなみに先述の飲食店では結局フォーを食べた。フォーの隣には明らかに生のもやし、すだち的な柑橘類、ネギ的なもの、パクチーが大量に盛られていた。フォー自体はそこそこ美味しかったがパクチーはやはり食べられなかった。臭い。本場でなら以外と食べられる、とか言ってた母親を恨んだ。ネギ的なものは輪切りの唐辛子(緑色)でよく分からずに食べると徐々に汗が吹き出し口の中が痛くなり味が全くわからなくなった。水は回収され、店のセルフの水はお腹を壊しそうで飲むことができず、かなり辛かった。

 

ノンバイ空港からカンボジアシェムリアップ空港までは1時間半ほどしかかからない。とても近いのだが国境を越えるため機内食が出る。この時点で三食食べてしまっているため機内食は断り、ビールだけを飲んだ。隣の中国人のおじさんはイヤホンをつけずにスマホで映画を見ておりかなりうるさかった。文化の違いなのだろうか?

 

シェムリアップ空港はアンコールワットなどの遺跡群のすぐ近くにあり、フライト中に窓からもその姿を見ることができた。外はかなり蒸し暑く、水たまりが多くあり、先ほどまで雨が降っていたことがわかった。

ビザを現地で取得することもできるようでかなりの人がカウンターに並んでいた。私は取得済みなのでアジア人用、と書いてあるカウンターで入国審査を受けた。日本人はあまり警戒されないらしくすんなりと通過できた。税関でも紙を渡すとすぐに通してくれた。

ガイドは空港内に入らないらしく外で待っていた。ガイドだけでなく、トゥクトゥクやタクシーの運転手も外で客引きをしたいた。トゥクトゥクはバイクの後ろに籠のようなものをつけたタクシーのようなものである。おそらく彼らが空港内で客引きをしないよう、ガイドも含め入らないようにさせているのだろう。

ホテルではクメール料理(カンボジアの伝統料理)を食べた。あまりお腹が空いていなかったがとても美味しかった。

食事を終わらせ、地元のスーパーまで見学に行った。ホテルからスーパーまではおよそ1キロだったのだが、この間でトゥクトゥクに20回ほど乗らないか?と言われた。最初は丁寧に断っていたがすぐにめんどくさくなり、何か言われそうになったらすぐにNo、と言うようになった。

スーパーはかなり新しく、エレベーターも設置されていた。ガイドのおじさんはこのスーパーが出来た時、家族を連れてこのエレベーターを見に行った、と言っていた。急速な発展を遂げているようだ。基本的に売っているものは自国のものか中国からの輸入品のようでかなり安かった。地元のビールが0.8ドルほどで最終日にはお土産として購入した。この時点で時間は夜の10時(日本時間で12時)だったため、客引きをかわしながらホテルに戻った。

 

釧路旅行記その2

釧路に着いて2日目。この日は観光バスで摩周湖屈斜路湖、阿寒湖を見に行った。前日の疲れからか自分も同行者も寝坊してしまい朝食を食べずに急いでバス乗り場へ向かった。楽しみだったのに…。

2日目はかなり天気が良かった。数年前に来た時には天気が悪く摩周湖が完全に霧がかかっていた。しかし今回はしっかりと晴れており摩周ブルーを見ることができた。霧の摩周湖も幻想的だが自分としてはこちらの方が好きだ。売店で売っているあげいもが美味しかった。朝食を抜いて正解だったかもしれない。

その後硫黄山に寄った。硫黄山では硫黄の塊から煙がもくもくと上がっていて腐卵臭がすごかった。また坂を上っていくと温泉が湧いていてさわると大変熱かった。このようなところでは温泉卵が定番だと購入。なかなかに硫黄の匂いが染み付いており、殻を剥いた後に手の匂いを嗅ぐと腐卵臭がひどかった。卵ではなく源泉を触った影響かもしれない。

次にバスは屈斜路湖へ向かった。屈斜路湖はこの3つの湖の中では一番大きく、例のごとくクッシーなる怪獣が住んでいる、という話があった。なんでもネッシーの妹?とのこと。ほんとかよ。

バスが止まったのは屈斜路湖の砂湯、というところだった。砂湯では砂浜を掘ると温泉が湧いてくるらしく、みると子供達が一生懸命に貼っていた。スコップ等を持っていなかったので自分では掘れなかったが確かに水が湧いていたし触ると熱かった。飲料用の温泉もあり、甘ければ健康、酸っぱいと疲れている、と言われて飲んだが味はしなかった。がっかり。

その後阿寒湖へ向かった。阿寒湖の周りには阿寒湖温泉があり、賑わっていた。ただこのころから天気が崩れ始めていた。阿寒湖温泉にはアイヌコタンがあり文化や食事を楽しめる。自分はここで野生丼を食べた。野生丼は鹿肉を味噌(味音痴なのであまりわからない)などで味付けし、卵でとじた後行者ニンニクや野菜を乗せたというようなものでとても美味しかった。味を再現できるようになりたい。

その後カラカミのCMでよく見るニュー阿寒ホテルの温泉に入った。屋上には水着着用で入ることのできる温泉があり、温泉から落ちる水がすべて湖に落ちていくような感じがして面白かったし眺めも良かった。ギリギリまで行かなければ高所恐怖症の人でも楽しめると思う。

温泉を堪能した後(ほんとは出発時間の関係であまりゆっくりできなかった。)釧路駅に向けてバスは出発した。途中鹿やタンチョウ、キタキツネも見ることができた。この観光バスはピリカ号といい、とてもオススメです。大人1人4600円。

釧路駅についてmooという複合施設に向かった。市場やお土産物屋、食事処などが入っており、毛ガニのクレーンゲームもあった。そこではお土産とさんまんまを購入した。さんまんまはさんまを開いて焼いたものを寿司のようにご飯と大葉の上にのせたようなもので大変美味しかった。夕日が有名とのことだが残念ながらビルで見ることができなかった。高台を探せば良かったと後悔。

 

終電車で札幌へ帰還。心残りの多い旅行だったのでいつかまたリベンジしたい。

 

釧路旅行記

9月の25日から1泊2日で釧路旅行に行った。本当はその1週間前が節目の日だったため、そこで行きたかったのだが天気のことを考え、日程を遅らせた。

釧路へは飛行機、JR、バスで行ける。やはり早いのは飛行機だがお金がかなりかかる。バスは安いのだが時間もかかるしボロいという話を聞いたため今回はJRのスーパーおおぞらを利用した。

朝の7時ごろに電車に乗り込んだ。到着時刻は11時で、北海道の広さを感じた。南千歳を過ぎて電車は空港でなく道東へ向かい始めた。この辺りからほぼ景色は緑一色となり、同行者は飽きてしまったのか居眠りを始めていた。

気がつくと帯広に来ていた。寝てしまっていたようで手がしびれていた。帯広の街は駅前によくわからない大きな百貨店のようなものと大きなマンションがあり、他は背の低い民家が並んでいる、というような感じだった。駅の2つ隣の線路に小さなオレンジ色の電車が止まっており、(おそらく名前は十勝晴号?)その周りをテレビカメラや撮り鉄が囲んでいた。電車内からも何人かの人が撮影していた。

池田町のワイン城を車窓から見た後、しばらくすると田畑ばかりになった。そこに白い大きな鳥、おそらく鶴が2羽がいた。もしかしたらサギだったかもしれないが一応タンチョウを見た、ということにした。

釧路に着く寸前にレンタカーを借りたほうがいいのではないか、という話になった。天気が悪くなってきたからである。予報では曇りだったがパラパラと雨が降っていた。もともと計画としてはノロッコ号に乗り、湿原内の遊歩道を歩く、というものだったが雨で歩けるかわからない上、バスの値段や、最悪タクシーを使う可能性もあったためだ。レンタカーは2時間前までに予約しないといけず、時間が10時57分ごろだったので借りることにしてすぐに手続きを行った。

 

釧路に着くと雨は上がっていたもののどんよりとしていて街はより寂しそうだった。少し早いが昼時だったので和尚市場へ向かった。ここではどんぶりとご飯を購入し、刺身などを店で買って自分好みの海鮮丼を作る勝手丼が有名であった。(勝手丼のシステムは全国でパクられているらしい。)ここではトキシラズ(鮭)やかなり分厚いホタテ、サンマやブドウエビ(ほとんどが地元で消費される珍しいエビ)などを食べた。小樽の海鮮丼と値段は変わらないがはるかに美味しかった。カニを食べ忘れたのが心残り。

その後ノロッコ号に乗って釧路湿原を横断した。ノロッコ号からは湿原の様子が観察でき、鹿も見ることができた。残念なのはタンチョウを見ることができなかったことと天気が悪くなったことだ。

ノロッコ号で終着駅まで行くとほとんどの乗客はそのまま引き返す。一応見るところはあるがあまり行かないようだ。自分たちもそのままノロッコ号で帰ってきた。

釧路駅に着くとすぐにレンタカーを借りた。もともとレンタカーを借りる予定もなく、普段は初心者マークをリュックに入れているのだが別のカバンで行ったためなかったので初心者マークのレンタル代で324円取られてしまった。

車に乗り込んで釧路の街を走っていると雨が激しくなってきた。急いでひとつめの目的地である釧路市展望台に向かった。着いたら雨も上がるだろう、と考えていたが雨は激しくなる一方でたまに小雨にもなるが止む気配はなかった。一応遊歩道を歩いたがなかなか道が悪く、滑る恐れもあったので引き返した。かなり心残り。

その後湿原沿いに車を走らせ細岡展望台を目指した。ノロッコ号ではここが一番人気の展望台と言っていたので期待していったのだが雨がかなり降っている上暗くなってきたのでこちらも転落したりする恐れとヒグマ注意の看板にビビり展望台へ向かう遊歩道を引き返した。

ちなみに天気だが、あまり良くないと思われた18、19日の方が良かったらしい…。

レンタカーでホテルへ向かった。ホテルは朝食のみ付いているので街に出て夕食をとろうとしたのだが、釧路では日曜日に飲食店がやっていないことが多いようであった。三箇所ほど電話してもつながらなかったり、今日は休みだよ、と言われてしまった。仕方がないのでホテルの受付のお姉さんにオススメされたところへ行った。炉端焼きの煉瓦、という店だった。なかなか美味しかったがそれに比べてかなり高いな、と思った。サンマ1匹500円かーって感じ。炉端焼きなので自分で目の前の網で焼く。海産物だけかと思いきや焼肉メニューもあり、食べた中で一番美味しかったのは阿寒ポークのカルビだった。

釧路にも北大通りがあった。ホテルへ帰る途中に見つけた。さすが北大とか思ったが読み方はやはりきたおおどおりだった。

 

続きます。

 

授業を切りたくなる話

僕は自転車に乗るのが好きだ。

自転車に乗れるようになったのは(親の自転車が危ない、という教育方針もあったのだろうが)小学5年生ほどで遅い方だったと思う。しかし、乗れるようになってからは暇さえあれば自転車に乗っていた。

大学生の今ではお金があるわけではないので中古のクロスバイクをバイト代で購入した。(友人にもらったロードバイクはすぐに盗まれてしまった。)

普段自転車に乗るのは基本的に通学と買い物くらいでたまに遠出もするが忙しくあまりできていない。

 

この前もいつも通り大学へ行ったのだが、その日はとても天気が良かった。雲がほとんどない5月晴れの日であまり暑いわけでもなく気持ちが良かった。おそらく10分ほど工学部前の駐輪場でぼんやりとしていたと思う。なんとなく帰りたくなった。その日の授業は僕の嫌いな科目(というか教授がとても嫌い)だったので、逃げる、という言葉が頭の中で膨らんだ。思えば逃げることに対して肯定的な諺が多い気がする。逃げるが勝ち、逃げるは恥だが役に立つ、三十六計逃げるに如かずetc…。

結局そのまま授業に臨んだのだがあまり集中できなかったのを覚えている。逃げた方が得だったかもしれない。前人たちの知恵はやはり偉大だ。

昔、サラリーマンが急に蒸発する(理系的ではない昼ドラ的なドロドロした感じの方)という話を聞いた。真面目に働く中間管理職の疲れたおじさんがもしも急に消えたなら、浮気相手と逃げたのではなく、僕と同じようにただ、天気がとてもいいから、もう少し先の駅まで行ってみようかな、と考え、実行してしまったのかもしれない。

ふらっと消えたくなる時もある。

 

今はテストから逃げ出したい。