卒論進捗状況報告3

つづき

いつでも来ていいよ、と博士には言われていたが、いきなりアポなしで突撃するのもまずい気がしたのでメールで翌日の午後に行くことを伝える。その日は返事がなかったので寝ることにした。

次の日の午前中、居室にいるからいつでも来ていい、というメールが来ていた。約束の時間より早かったがとりあえず行ってみることにした。B4の居室とM2以上の居室は違っていて(しかも当時は自分たちの居室には入ることができなかった)、1人では行ったことがないので入っていいものかドアの前ですこし躊躇した。意を決して入ると博士が1人だけいた。

入りにくかったでしょ?と言われる。毎年B4はビビってドアの前でうろうろしてしまうらしい。とりあえずカタログの見方が全くわからないことを伝え、またやり方を教えてもらった。正直前日とほぼ同じ説明しかしてくれなかったのだがなぜか使うべき素子を選べるようになった。

家に戻りカタログを見ながら素子をリストアップし、手書きの設計図を簡単に書く。そしてそれをJWCADで図面にする。初めて設計演習(製図)の授業で学んだことを使ったと思う。授業から1年以上経っていたが以外と手が覚えていてするすると図面をかけた。

かなりすんなりとことが進んでいたので、多少不安があったもののとりあえず博士に見てもらおう、とメールで図面の確認をして欲しい旨を伝える。設計を始めてからここまででだいたい3日くらいである。

翌日、印刷した図面を持っていくといくつか修正点を教えてくれた。今回は赤い色鉛筆ではなく黒のボールペンで修正箇所にチェックを入れてくれた。設計演習を彷彿とさせるがそれよりもはるかにやり直しが少ないので心が死ぬようなことはなかった。明日また持ってきますね〜、と言い残して家に帰る。

さらに翌日、博士のもとに修正版を持っていくと教授、准教授にメールで図面を送るように指示を受けた。自分としてはちゃんと修正したし博士の話をもとにそれに矛盾しそうな部分は一切ない、と思っていたため、これでOKです、的なメールがすぐにくると思っていた。なのでもう物品を注文して遅くても8月中旬には卒論研究ができるんだろうな、と期待に胸を膨らませていた。

卒論進捗状況報告2

つづき

准教授に言われた時間に大学に行く。怖いなぁと思って居室に入るとなかなかフレンドリーに話してきた。准教授は顔がかなり怖いが優しく、また同じ県出身ということがわかった。

また前日と同じような説明を受ける。なんとなく概要は理解した気がした。実際には全くできていないのだが。

1時間ほどで終了。実験背景を学ぶために博士の修論を渡された。読んでみるとすぐに自分の研究と関係ない話に突入していた。博士には修論は読まないで教授から論文をもらうように言われたのだが、准教授はこれを読め、と言ってくる。いきなり上司的なものが複数人いる弊害が発生。とりあえず教授にメールで論文が欲しい、と伝えると貰えた。確かに自分の研究に近いな、と思いこちらを読むことにした。

後日また准教授に呼び出された。この時は博士も一緒で、設計しなくてはならない装置について詳しく話を聞いた。自分の実験で用いる計測方法は難しい技術らしく、大きな装置を組んで測定する必要がある。しかし、最近の論文でとある素子を用いると小さな装置で事足りるということがわかった。教授としても博士としてもそれは助かるらしく、これを使ってみよう、ということになったようだ。そしてその設計をしてくれ、ということになった。

装置の概要とメーカーのカタログと素子の探し方を教えてもらい、その日は終了。家に帰りいろいろ調べてみることに。しかし、例えばレンズといっても様々な種類があり、何を使えばいいのか、使う理由など全くわからない。しかもほとんどデータが英語で書いてあり、訳がわからない。しょうがないので博士に翌日質問に行くことにしてその日は寝た。

卒論進捗状況報告1

学部4年になって某研究室に配属となった。配属先はもともと4月あたりには決まるはずなのだが今年はコロナの影響で異例の6月ごろだった。

第一希望の研究室では卒論研究が始まるのがお盆過ぎ、という話は聞いていて配属が遅れたことに自分としては焦ってはいなかった。しかし、冬になるとコロナがまた大流行し、大学に入らなくなる可能性がある。早めに研究を始めるように、と教授が言っていたのでとりあえずやることもないので6月終わりに教授、准教授(それぞれ自分の担当教官。なぜか2人いる。)にメールを送り、実験を始めたい旨を伝えた。コロナのせいで実験できませんでした、というのも話のネタとしては面白いとは思ったが自分の人生をたかがひと笑にかける気にはならなかった。

教授から返事が来て居室に呼び出された。約束の時間5分前に行くと博士と教授がいた。どちらもほとんど話したことがないため気まずさを感じながら待っていると遅れて准教授がやってきた。

ざっくりと自分の研究テーマと内容を話してもらう。現象の概要は准教授、装置の概要は博士、教授は何を話していたか忘れた。多分最近投稿された論文にケチ、というか本当にこんなことができるのか?というような話をしていたと思う。

その後実験室に行き、使う装置を見る。非常に巨大でコードがめちゃめちゃに絡まっていて、こんなものを使わないといけないのか、と恐れ慄いた。特性として常時排熱しておりエアコンを16度設定にして水冷しているのにも関わらず部屋は暑かった。

教授が急に、博士がさっき話していた装置は君に設計してもらうから、と言ってきた。設計は君たちの得意分野でしょ?とのたまう。製図は一生懸命やったがそれは先輩のデータを見ながらで急にしろ、と言われても困る。だが、拒否できるような雰囲気は皆無で、わかりました、とだけ言った。この研究室に入ったのを後悔した。

とりあえず明日もおいで、と准教授が言ってくれた。今回の話で理解できなかったのが分かったらしい。設計に関しては博士が面倒を見てくれるらしい。とりあえずその日は疲れたので帰って龍が如くをした。

カンボジア放浪記その10

つづき。最終回。

食事を終えてトゥクトゥクに乗り戦争博物館へ向かった。小学校の校庭の半分くらいのスペースに地雷や銃器、戦車などが陳列、というか放置してあった。カンボジアの暑い日差しとスコールにさらされてほとんどが錆てしまっていた。展示品はポルポト政権下の紛争で用いられたものらしい。貴重なものだと思うので是非現物を見て欲しい。

自分も友人も疲れ切ったのでホテルへ。買った水着をきてプールに入る。かなり深く(外国人仕様?)友人は溺れていた。ジャグジーもある、というので案内してもらうと完全に水風呂、というかそもそも電気とかもろもろついていなかった。オフシーズンはこんな感じらしい。ちなみに最盛期は11月ごろらしいので行くならその時期がいいとのこと。乾季で天気も良く気温も高くないらしい。

そのあとだらだらして食事に。友人が寝てしまったのでホテルのレストランは閉まっていた。そこでまた街へ繰り出した。といっても元気がなく、ホテル近くのショッピングモールへ向かった。百円ショップから映画館まで入っていた。ここでチェーン店のホットドックを食べた。ウィンナーが魚肉ソーセージみたいだった。一番美味しくなかった。謎のアイスクリーム(マックフルーリーのオレオみたいなやつ)が人気なようで前の人も後ろの人も買っていた。トルコアイスのようなものなのか粘性をウリにしているようで客に渡すとき、一度カップをひっくり返してから渡していた。

翌日はまた朝から外へ繰り出す。この日は遠くの遺跡へ行った。2時間ほど完全に舗装されていない道を進んでいく。東南アジア風の田園風景が広がっていた。腐るほど見た風景だが飽きない。日本人のDNAのためだろうか。南国風の木とのミスマッチを楽しんだ。

このあと赤い遺跡(?)に行くが詳細は割愛。

きた道をまた戻る。舗装作業が始まっていて長い渋滞に巻き込まれ、もしかしたらこのまま一生この渋滞に巻き込まれたままなのかもしれない、という気持ちになったが30分ほどで脱出。その後ラピュタのモデルになったと言われる神殿に行った。大きな木(ガジュマル?)が遺跡を覆っており神秘的だった。友人と共に写真を大量に撮った(友人の携帯で)。半年以上時間が経ったがまだ写真もらっていない…。

その後空港へ。途中スコールのため雲が覆いはじめどんどん暗くなっていき、雷鳴が響きはじめた。大丈夫かなーと思って何となく調べてみると乗る予定のベトナム航空はすぐに欠航することで有名らしい。ドキドキしていると何とか飛ぶ、ということで出発ゲートへ。するとチケットを職員さんに渡すと英語で何か言われた。わからないのでニコニコしてみるとまた聞かれた。多分調子はどう?って聞かれたのだろうと何とか解釈し、I'm fine!と言った。そうすると笑われてしまった。そしてI'm 24.と言われた。年齢を聞かれたのか。恥ずかしいなぁと思いながら21と伝えるとgood luck.とのこと。ありがとう。TOEICで勉強した今なら少なくともリスニングは行けたはずなのでリベンジしに行こうかなぁ。このためだけに。

このあと土産物屋で酒を購入した。ここの店員も面白い人が多く、買おうかなーというとどよめいたり拍手してくれたりして盛り上げてくれた。まぁ他に客が少なかったためではあると思う。乗る飛行機が深夜0時発だからなのか。店員がほぼみんな周りにいた。

その後ターミナルをぶらつき夕食を探した。牛丼とかもありはしたが流石に…ということで街中にたくさんあったバーガーキングへ。初めて食べたが美味しかった。

飛行機は乗り込み一旦ベトナムへ。深夜の3時ごろまで待機し日本行きの飛行機に乗り込む。正直非常にハード。飛行機の中では寝れないし空港でも荷物が取られるのではないか、と不安で目が覚めてしまう。飛行機に乗り込めば機内食とサービスの嵐。ほぼ完徹で出された食事はフルーツとパンだけを食べ残してしまった。窓から外を見ると地平線の彼方から日が昇っているのが見えた。頑張って写真を撮っていると通路側の人から写真お願いします、と言われた。いいですけどこれくらいしか撮れませんよ、と写真を見せるとじゃあいいです、と言われてしまった。

福岡国際空港に到着。醤油の匂いは感じなかったが日本語に包まれたのが安心した。今回こそ検疫で止められたりするのでは⁉︎と友人と話をしたがやはりすんなりと通された。有事の際(コロナとか)にはこの様な対応ではないと信じている。

友人と別れ家に向かう。フラフラしながらバスに乗ろうとするとスーツ姿のサラリーマンだらけでスーツケースを抱え酒臭く(深夜の機内サービスで飲んでしまった)顔色の悪い自分は彼らの目にどう映ったのだろう。

家には誰もいなかった。急いでトイレに駆け込み日本の技術力の高さを再確認した。ウォシュレットは生活に必要不可欠だ。

カンボジア放浪記その9

つづき

いろいろみて周りお腹が空いてしまった。流石に市場で食べる気にはならずパブストリートを彷徨くと意外と店が開いている。しかも安い。ビールがジャッキで0.8〜1.5ドルくらいだったはず。いろいろみたあと、レッドピアノという赤いソファやオブジェの店に入った。ここはアンジェリーナジョリーもよく来ていた店で前日から気になっていた。ちょうど昼食前だからだろうか、店には欧米人グループしかおらず、店員も暇そうにしていた。

店に入り、道路側の席に座る。ちなみにパブストリートの店はどれも半屋内で店と道路は壁等で一切仕切られていない。注文しようとするとやはり全部英語。クメール語版もあると冗談を言われたが読めるわけもないので断る。とりあえずビールと地元のプレート(牛肉をナンプラーと胡椒などで炒め目玉焼きとトマトを添えたもの)とビールを、友人はカルボナーラとビールを注文した。そんなのどこでも食べられるじゃん…と言いながらビールを飲んでいると料理が運ばれてきた。どちらも大きい。それに値段も非常に安かった。正直なんとか食べ切れた、という感じ。食べながら本当にいい国だなぁ、と思った。

食事をしてぼんやりしていると元負傷兵の様な人が杖をつきながらやってきた。近くに座っていた欧米人グループの人と話をしたあとお金をもらっていた。自分たちのところにもくるかなぁ、と思っていたらスルーされた。ガキだと思われたのかな。それとも何かポリシーでもあるのだろうか。

マッサージは安く、気持ちもよかったのだが関節を鳴らすのだけはやめて欲しかった。それ以外は概ね満足。また行きたい。感想が少ないのはすぐ寝てしまって記憶がないため。

カンボジア放浪記その8

つづき

船に乗らない、と言ったらトゥクトゥクのオヤジは驚いたようだった。

「せっかくきたんだから乗っていきな」

と勧めてくる。多分乗るとマージンがもらえるのだろう。

船に乗る際にはしっかりとした英語ができないと困る、とかぼったくられる、という話を聞いていたため自分たちはNoといった。船に乗りにきたのではなく、トゥクトゥクに揺られながら湖を見たかったのだ。

拙い英語でオヤジにこれを伝えるとそれはできない、と言われた。なんでも船着場より先に道路はなく、土地も水上に住む人に統治されているらしい。だから湖を見るなら船に乗れ、と。

押し問答は続いたがオヤジはしょうがないなぁ、という顔をして湖のほとりに連れて行ってくれた。とても大きいだろ、といって手を大きく広げた。帰る前に写真を撮りな、と言った。これお金取られるやつかな、と思ったがなにも言われなかった。

トゥクトゥクに乗り込むと次は?と聞いてきた。他に行きたいのはオールドマーケット(市場)とマッサージ店、戦争博物館だ、というとじゃあオールドマーケットだ、と言われた。近くにマッサージ店もあるし食事もしてこい、とのこと。

来た道を進んでいるともう終わったのだろうか、学生たちがたくさん道を歩いていた。

オヤジに降ろされたのは昨日もきたパブストリートの前だった。場所はほぼ一緒だった。昼間のパブストリートは閑散としていて活気はない。そこから少し入ったところにあるオールドマーケットは反対にすごい活気があった。観光客相手のよくわからない土産物屋から生鮮食品まで売っていた。オールドマーケット全体が香辛料と生モノの匂いに支配されていて友人はすぐに気持ち悪くなった、と言っていた。自分はとても面白か感じ、フラフラと散策した。奥の方では買った食品で料理を作って食べている人も多くいた。少し興味はあったが流石に食べるのは断念した。

ホテルにプールがあったため水着を購入することにした。ついでに民族衣装的なものも買ってみよう、ということになって優しそうなおばさんの店に入った。

なにが欲しい?と聞かれたからコレとコレ、といった。するとおばさんはコレもある、こんなのもある、と沢山出してきた。その中から気に入った水着とズボン(タイパンツのカンボジアバージョンみたいなやつ)を購入した。日本でちゃんとした生地であれば2つで4000円くらいだろうか?まぁ生地がショボくはあったが…。値段を聞くと20ドル、と言ってきた。まぁ値切り前提の値段なのだろう。とりあえず半額の10ドル、というと日本語で

「赤字!赤字!」

と言ってきたので笑ってしまった。結局頑張って13ドルくらいで購入したのだが後から同じようなものを8ドル程度で手に入れた、という人の話を聞いて少しがっかりした。ただ非常に楽しい経験ができた、と思う。

錬金術の話

現在日本はコロナの流行対策のためイベントの自粛や休校などの措置がとられている。私立高校の中には卒業式が行われないというところもあるらしい。町からはマスクと消毒用アルコールが消え、人々は外出を控えるようになり、消費は冷え込む…。

そんな世紀末を予感させるこの時期に私はある錬金術を発見した。6000円のお金がワンプレイで300円を生み出す、はずである。

 

必要アイテム

大学生協加入済み学生証

・6000円くらい

 

手順

1.北18条のゲートより西は70歩、南へ900歩、西へ70歩、南へ270歩、西へ110歩、南へ210歩のところにある北部食堂へ入る。

2.二階へ移動する。

3.西へ110歩移動して購買へ入る。

4.すぐに南を向き、書籍部カウンターの中にいる人にTOEIC4月分の受験をしたいことを伝える。

5.その後支払いを学生証を用いて行う。

 

解説

現在TOEICはコロナ流行に伴い3月の開催を中止した。ここで受験予定者には個人申し込みの場合は振替受験をする、と明言した。ただ団体申し込み(今回のような大学生協を経由する申し込み)の場合は団体側に問い合わせをするように、とも発表した。そして大学生協の対応(もしかしたら北大生協だけかもしれない)は全額返金とのこと(問い合わせ済み)。そのためキャッシュレス決済のポイント還元により錬金術を行うことができる、と考えられる。(たかだか300円であるが…)

 

注意点

返金の対応の仕方が不明瞭である。準備が整い次第連絡が来る、とのことであったためおそらく申し込み時に記入する連絡先に電話が来る、と思われる。そのため他人名義でたくさん申し込みをしてしまうと何度も同じ電話番号に生協側がかかることになり不審がられるはずである。さらにTOEICは3月の中止が決まったものの4月開催については何も明言されていない。そのためどうせ中止、と考えて6000円を支払うと返ってこない、という場合も想定される。

 

⚠︎あくまでもネタです。やるなら自己責任でお願いします。この件により生じた不利益等に関しては私は一切の責任を持ちません…。