カンボジア放浪記その10

つづき。最終回。

食事を終えてトゥクトゥクに乗り戦争博物館へ向かった。小学校の校庭の半分くらいのスペースに地雷や銃器、戦車などが陳列、というか放置してあった。カンボジアの暑い日差しとスコールにさらされてほとんどが錆てしまっていた。展示品はポルポト政権下の紛争で用いられたものらしい。貴重なものだと思うので是非現物を見て欲しい。

自分も友人も疲れ切ったのでホテルへ。買った水着をきてプールに入る。かなり深く(外国人仕様?)友人は溺れていた。ジャグジーもある、というので案内してもらうと完全に水風呂、というかそもそも電気とかもろもろついていなかった。オフシーズンはこんな感じらしい。ちなみに最盛期は11月ごろらしいので行くならその時期がいいとのこと。乾季で天気も良く気温も高くないらしい。

そのあとだらだらして食事に。友人が寝てしまったのでホテルのレストランは閉まっていた。そこでまた街へ繰り出した。といっても元気がなく、ホテル近くのショッピングモールへ向かった。百円ショップから映画館まで入っていた。ここでチェーン店のホットドックを食べた。ウィンナーが魚肉ソーセージみたいだった。一番美味しくなかった。謎のアイスクリーム(マックフルーリーのオレオみたいなやつ)が人気なようで前の人も後ろの人も買っていた。トルコアイスのようなものなのか粘性をウリにしているようで客に渡すとき、一度カップをひっくり返してから渡していた。

翌日はまた朝から外へ繰り出す。この日は遠くの遺跡へ行った。2時間ほど完全に舗装されていない道を進んでいく。東南アジア風の田園風景が広がっていた。腐るほど見た風景だが飽きない。日本人のDNAのためだろうか。南国風の木とのミスマッチを楽しんだ。

このあと赤い遺跡(?)に行くが詳細は割愛。

きた道をまた戻る。舗装作業が始まっていて長い渋滞に巻き込まれ、もしかしたらこのまま一生この渋滞に巻き込まれたままなのかもしれない、という気持ちになったが30分ほどで脱出。その後ラピュタのモデルになったと言われる神殿に行った。大きな木(ガジュマル?)が遺跡を覆っており神秘的だった。友人と共に写真を大量に撮った(友人の携帯で)。半年以上時間が経ったがまだ写真もらっていない…。

その後空港へ。途中スコールのため雲が覆いはじめどんどん暗くなっていき、雷鳴が響きはじめた。大丈夫かなーと思って何となく調べてみると乗る予定のベトナム航空はすぐに欠航することで有名らしい。ドキドキしていると何とか飛ぶ、ということで出発ゲートへ。するとチケットを職員さんに渡すと英語で何か言われた。わからないのでニコニコしてみるとまた聞かれた。多分調子はどう?って聞かれたのだろうと何とか解釈し、I'm fine!と言った。そうすると笑われてしまった。そしてI'm 24.と言われた。年齢を聞かれたのか。恥ずかしいなぁと思いながら21と伝えるとgood luck.とのこと。ありがとう。TOEICで勉強した今なら少なくともリスニングは行けたはずなのでリベンジしに行こうかなぁ。このためだけに。

このあと土産物屋で酒を購入した。ここの店員も面白い人が多く、買おうかなーというとどよめいたり拍手してくれたりして盛り上げてくれた。まぁ他に客が少なかったためではあると思う。乗る飛行機が深夜0時発だからなのか。店員がほぼみんな周りにいた。

その後ターミナルをぶらつき夕食を探した。牛丼とかもありはしたが流石に…ということで街中にたくさんあったバーガーキングへ。初めて食べたが美味しかった。

飛行機は乗り込み一旦ベトナムへ。深夜の3時ごろまで待機し日本行きの飛行機に乗り込む。正直非常にハード。飛行機の中では寝れないし空港でも荷物が取られるのではないか、と不安で目が覚めてしまう。飛行機に乗り込めば機内食とサービスの嵐。ほぼ完徹で出された食事はフルーツとパンだけを食べ残してしまった。窓から外を見ると地平線の彼方から日が昇っているのが見えた。頑張って写真を撮っていると通路側の人から写真お願いします、と言われた。いいですけどこれくらいしか撮れませんよ、と写真を見せるとじゃあいいです、と言われてしまった。

福岡国際空港に到着。醤油の匂いは感じなかったが日本語に包まれたのが安心した。今回こそ検疫で止められたりするのでは⁉︎と友人と話をしたがやはりすんなりと通された。有事の際(コロナとか)にはこの様な対応ではないと信じている。

友人と別れ家に向かう。フラフラしながらバスに乗ろうとするとスーツ姿のサラリーマンだらけでスーツケースを抱え酒臭く(深夜の機内サービスで飲んでしまった)顔色の悪い自分は彼らの目にどう映ったのだろう。

家には誰もいなかった。急いでトイレに駆け込み日本の技術力の高さを再確認した。ウォシュレットは生活に必要不可欠だ。